Chelsea背番号「9」の系譜

1928年のイングランドリーグ、アーセナル対チェルシー戦でサッカー史上初めて背番号をつけたユニフォームで試合が行われました。
1933年にFAカップ決勝で久しぶりに背番号付きユニフォームが使用され、以降FAカップでは背番号制度が確立しました。
1939年にはイングランドリーグでも背番号制度が導入されましたが、当時は1番から11番をポジションに応じて着用するものでした。

1993-94シーズンにプレミアリーグが設立された際に、現在の固定番号制が採用されました

背番号には歴史があり、ファンの記憶に残り続けるものです。
この記事では、ロンドンのビッグクラブであるChelseaの背番号「9」を背負ってきた選手たちをご紹介します

なお、背番号「10」の系譜はこちらの記事でまとめていますので、ぜひご覧ください。

目次

選手紹介

Chelseaで背番号9を背負ってきた選手を紹介します。

Tony Cascarino (1993-1994)

Chelseaで初めて背番号9を正式に着用した選手です。
1962年9月1日生まれのセンターフォワードで、イングランドのセント・ポールズ・クレイ出身です。

1987年から1990年に在籍したミルウォールでは105試合42ゴールと活躍し、当時のクラブレコードである22万5000ポンドの移籍金でミドルスブラに移籍しました。
しかし、そのミドルスブラや移籍したセルティックでは思うように活躍できず、セルティック移籍からわずか7か月でトレードによりChelseaに加入しました。

Chelseaでも40試合8ゴールに留まり、FAカップ決勝に進出するもタイトルを獲得できませんでした。

Mark Stein (1994-1996)

1966年1月29日生まれのFWで、南アフリカのケープタウン出身です。
1993年にストークから移籍金150万ポンドでChelseaに移籍しました。

Chelseaでは、1993/94シーズンに7試合連続ゴールというプレミアリーグ記録を樹立し、この記録は2002年にファン・ニステルローイに破られるまで続きました
1993年から1998年まで在籍したChelseaでは63試合で25ゴールを記録しました。

Gianluca Vialli (1996-1999)

1964年7月9日生まれのFWで、イタリアのクレモナ出身です。
2023年1月6日に、58歳の若さで亡くなっています。

1996-97シーズンにユヴェントスから加入し、その年のFAカップ優勝に貢献しました。
更に、1997-98シーズンにはUEFAカップウィナーズカップとリーグカップで優勝しました。
1998-99シーズンに選手兼監督となり、その年に20試合10ゴールという活躍を見せましたが、その年に選手としては引退を決め、Chelseaでは通算88試合40ゴールと活躍しました

Chris Sutton (1999-2000)

1973年3月10日生まれのFWで、イングランドのノッティンガム出身です。
1999年にブラックバーンから移籍金1000万ポンドで獲得。
Chelseaでは28試合で1ゴールと活躍できなかったものの、翌年に移籍したセルティックでは130試合63ゴールと活躍しました。

Jimmy Floyd Hasselbaink (2000-2004)

1972年3月27日生まれのFWで、南米のスリナムという国の出身で、オランダ代表としてプレーしました。
1999年にアトレティコ・マドリードで34試合24ゴールと活躍したものの、チームが2部に降格。移籍金1500万ポンドでChelseaに移籍しました。

デビュー戦でゴールを決めるなど、最初のシーズンでリーグ戦23ゴールにより得点王を獲得。全コンペティションでは26ゴールをあげました。
更に、2シーズン目の2001-02シーズンには29ゴールをあげました。
残り2シーズンはややゴールが減り、2004年にアブラモヴィッチ体制になったタイミングでミドルスブラに移籍しました。

Chelseaでは通算177試合87ゴール26アシストを記録し、クラブの背番号9を最も長く背負い、そして最も活躍した選手と言っても過言ではありません

Mateja Kežman (2004-2005)

1979年4月12日生まれのセンターフォワードで、セルビアのベオグラード出身です。
アブラモヴィッチ体制1年目の2004年、大型補強を進めていたChelseaに移籍金500万ポンドで加入しました。

José Mourinho監督のもと、チームはプレミアリーグとFAカップを優勝し、印象的なシーズンとなりますが、攻撃陣の層が厚く、Kežmanは25試合4ゴールという成績に留まり、翌年にアトレティコ・マドリードに移籍しました。

Hernan Crespo (2005-2006)

1975年7月5日生まれのセンターフォワードで、アルゼンチンのブエノスアイレス州フロリダ出身です。

2003-04シーズンに、インテルからChelseaに移籍するも、イングランドサッカーに馴染めず出場機会に恵まれませんでした。当時は背番号21を着用していました。
2004-05シーズンにJosé Mourinhoが監督に就任するも構想外となり、ACミランにレンタル移籍。CLの準優勝に貢献するなど活躍し、本人はミラン残留を望んでいましたが、2005-06シーズンにはChelseaにレンタルバック。背番号9を着用しました。
伸び盛りのドログバと1トップを競わせると、双方とも活躍。終盤には2トップで起用されました

しかしCrespo自身はイタリア復帰を熱望し、古巣のインテルに2年間のレンタル移籍。そのままChelseaとの契約を終了しました。

Chelseaでは通算49試合25ゴールを記録しました。

Khalid Boulahrouz (2006-2007)

1981年12月28日生まれのセンターバックで、オランダのマースライス出身です。
背番号9はセンターフォワードが着用するものというのが世界の共通認識ですが、なぜかセンターバックの彼が9番を着用することになりました。
Khalid加入時には既にシーズンが始まっており、空き番の中から選ぶ必要があったのですが、キットマンが提案したのは、「9番、45番、46番・・・」。
オランダのフル代表としてもプレーしていたKhalidは、大きな背番号をつけることに抵抗があり、9番を選択したそうです。
しかし実は、2番などの一般的にDFが着用する背番号も空いていたようで、Khalidは「キットマンに仕組まれた!」と笑いながら語っていたようです。

ところで当時のChelseaには、John TerryとRicardo Carvalhoが在籍しており、自身のケガもあって出場機会には恵まれず。
わずか13試合の出場に留まり、セビージャへのレンタル後、シュトゥットガルトへ移籍しました。

Steve Sidwell (2007-2008)

1982年12月14日生まれのセントラルミッドフィルダーで、イングランドのワンズワース州出身です。
レディングで印象的な活躍を残し、ステップアップを目指して契約延長を断り、フリーでChelseaに加入しました。
バックアップとして15試合の出場に留まり、1年間で退団。移籍金500万ポンドでアストン・ヴィラに移籍しました。

この頃には、Chelseaで背番号9をつけた選手はなかなか活躍できず、更に1年で退団を余儀なくされるというジンクスが定着していました。
ディフェンダーやミッドフィルダーがその背番号を着用しても、状況は変わりませんでした

Franco Di Santo (2008-2009)

1989年4月7日生まれのフォワードで、アルゼンチンのメンドーサ出身です。
チリのアウダックスから移籍金700万ドルで加入。
久しぶりにフォワードが背番号9を背負いましたが、わずか8試合の出場でノーゴールに終わりました。

ブラックバーンへのレンタル移籍を経て、ウィガンに移籍しています。

Fernando Torres (2011-2014)

1984年3月20日生まれのセンターフォワードで、スペインのマドリード出身です。
Di Santoが去ってから2011年1月までは背番号9は空き番となっていました。

アトレティコ・マドリードやリヴァプールで印象的な活躍を残し、リヴァプールの中心選手であったTorresはオーナーへの不信感などからChelseaに電撃移籍。
移籍金は非公表ですが、報道によると、当時のイングランド史上最高額となる5000万ポンドという移籍金でした

大きな期待を背負ってやってきたTorresですが、「9番の呪縛」は本物だったのかもしれません。
2011年2月のリヴァプール戦でデビューしたものの、初ゴールは4月のウェストハム戦で、903分間無得点という不名誉な記録を作ってしまい、この年Chelseaでの唯一のゴールとなりました。

2011-12シーズンは、CL準決勝のバルセロナ戦セカンドレグで、アウェイゴールによりリードしていたChelseaはバルセロナの猛攻を防ぎ続け、後半ロスタイム、ハーフウェイラインぎりぎりでオフサイドを回避したTorresの独走ゴールによりダメ押しとなり、合計スコアで決勝へ進出し、その後初のCL制覇をすることになります
サポーターにとってはとても印象に残っているゴールの一つでしょう。

2012-13シーズンは、CL優勝監督のDi MatteoからRafael Benitezに交代。
真偽はわかりませんが、TorresがChelseaで結果をなかなか残せないことから、リヴァプール時代にTorresと師弟関係にあったBenitezを招聘したのではないかと報じられました。
FIFAクラブワールドカップでは、決勝のコリンチャンス戦で、決定的なチャンスを何度も相手キーパーにセーブされてしまい、優勝を逃してしまいます。

Chelseaでは通算172試合45ゴール35アシスト。
FWとしては物足りないですが、アブラモヴィッチ体制以降では最も活躍した背番号9と言っても過言ではありません

2014年8月にACミランにレンタル移籍し、そのまま完全移籍。
古巣アトレティコ・マドリードでのプレーを経て、Jリーグのサガン鳥栖へ完全移籍。2019年に引退しました。

Radamel Falcao (2015-2016)

1986年2月10日生まれのFWで、コロンビアのサンタ・マルタ出身です。
2014-2015シーズンに、モナコからマンチェスターユナイテッドへローン移籍するもケガの影響で活躍できず、翌シーズンはChelseaにローン移籍しました。

序盤こそ交代出場により出場機会を得ていたものの、ケガの影響もあり、最終的には10試合で1ゴールという成績に終わり、シーズン終了後には契約満了によりモナコへ復帰しました。

Álvaro Morata (2017-2018)

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1992年10月23日生まれのセンターフォワードで、スペインのマドリード出身です。
2017年7月にレアルマドリードから完全移籍で加入しました。移籍金は当時のクラブ最高額となる7000万ポンドで、5年契約と報じられました。

開幕戦で初ゴール、9月にはハットトリックを決めるなど活躍しましたが、2018-19シーズンから背番号29に変更。
徐々に出場機会が減り、2019年1月にはアトレティコ・マドリードに18か月のローン移籍をすることが発表されました。

Morataはローン移籍中の身でありながら、「アトレティコで引退したい」という発言もあり、Chelseaのサポーターから批判の的になりました
Chelsea側は、ローン移籍中であってもMorataを呼び戻すことができる契約となっていたことから、完全移籍させる気がないのであればMorataを呼び戻す可能性について報道されました。
実際のところ、Chelseaは2019-20シーズンの夏と冬の移籍市場で選手の新規登録が禁止されていたため、これは脅しではなく、本当にMorataを呼び戻す可能性もありました。

結局2019年7月に、2020年7月にアトレティコ・マドリードへ完全移籍となることが発表されるという異例な状況となりました。
実際に2020年7月に4500万ポンドの移籍金で完全移籍しました。

Gonzalo Higuaín (2019)

1987年12月10日生まれのFWで、フランスのブレスト出身で、アルゼンチン代表としてプレーしました。
レアル・マドリード、ナポリ、ユヴェントスなど多くのゴールを決めたHiguainは、2018-19シーズンにユヴェントスからACミランにローン移籍していましたが、結果を残せずにわずか半年で契約満了。1月にそのままChelseaへローン移籍しました。

しかし、しばしば体調不良などを訴えて欠場し、シーズン終了後にユヴェントスへ復帰。14試合5ゴールに終わりました。

Tammy Abraham (2019-2021)

1997年10月2日生まれのセンターフォワードで、イングランドのロンドンザザーク区出身、7歳の頃からChelseaのアカデミーで育った選手です。
2016年にトップチームデビューを果たし、その後はブリストルシティ、スウォンジー、アストン・ヴィラへのローン移籍により多くのゴールを決めてきました。

2019-20シーズンは、夏と冬にChelseaの新規選手登録ができなかったため、アカデミー出身の多くの選手が起用されました。
Abrahamもその一人で、8月のノリッジ戦で初ゴールを含む2ゴール、ウルブス戦でハットトリックを決めたほか、エミレーツスタジアムでのアーセナル戦で決勝ゴールを決めるなど47試合18ゴール6アシストと活躍し、チームのCL権獲得に貢献しました

2020-21シーズンになるとChelseaの移籍が解禁され、前線ではKai HavertzやTimo Wernerらが加入。
監督がLampardからTuchelに替わると、Wernerがより重宝されるようになり、出場機会が激減しました。

2021年8月12日には、Romelu Lukakuがチームに復帰。それに伴って、8月17日にASローマへの完全移籍が発表されました。
移籍金は4000万ユーロで、2023年夏から有効になる買い戻しオプションが附帯されています

Chelseaでは通算82試合30ゴール12アシストという成績でした
Tuchel監督のサッカーには馴染めなかったものの、Torresよりも、出場試合数の割に多くの結果を残すことができました。

なお、José Mourinho監督のもとローマで活躍を続けているAbrahamですが、買い戻しオプションでの移籍金は8000万ユーロと報道されており、簡単に実現する移籍ではありません

Romelu Lukaku (2021-2022)

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Chelseaのファンであることを公言していたLukakuは、2011年8月にChelseaに一度加入しています。
しかしローン移籍などにより出場機会は限られており、当時の監督であるAndré Villas Boasと不仲であることを暴露したことで、監督の怒りを買うなどし、ローン移籍していたエヴァ―トンへと完全移籍しました。

エヴァ―トン、マンチェスターユナイテッド、インテルで活躍し、2021年8月にChelseaへ復帰。
クラブ史上最高額となる9750万ポンドという移籍金でした。
Lukakuは、「やっと我が家に戻って来られた」と発言していました。
復帰初戦となるアーセナル戦でのゴールや、クラブワールドカップ準決勝・決勝でのゴールなどもありましたが、終わってみれば26試合8ゴールと、移籍金に見合わない散々な結果に。
出場機会に恵まれない状況が続くと、「二度とプレーしたくない」と発言。

2022年6月に、ローン移籍によりインテルへ復帰しましたが、ローン移籍であるにもかかわらず、「インテルでキャリアを終えたい。残留したい。」といった趣旨の発言を立て続けに行いました。

その後ローン移籍期間が満了し、2023年6月にLukakuはChelseaに復帰しますが、相変わらずインテルでのキャリア継続を主張。
インテルは金銭的負担を考慮し、ローン期間延長をChelseaに打診しますが、Chelseaは完全移籍での放出以外認めない姿勢を崩さず、インテルは完全移籍でのLukaku獲得に向けて動き出します。
しかし、ユヴェントスがLukaku獲得に興味を持っていることが報じられると、Lukakuはインテルの担当者からの電話を着信拒否 (by La Gazzetta dello Sport)。

インテルはLukaku獲得から撤退しますが、ユヴェントスはVlahovićと「Lukaku+移籍金」でのトレードを希望していたこともあり、この交渉は難航。
これを受けてLukakuは、再びインテルに自らを獲得するよう促しますが、当然インテルはこれを相手にしません。

サウジアラビアのアル・ヒラルが獲得を検討しているという報道もありましたが、本人が移籍を拒否
ほかに完全移籍での獲得を希望するクラブはなく、2023年8月31日にASローマへのローン移籍となりました。

Pierre-Emerick Aubameyang (2022-2023)

1989年6月18日生まれのFWで、フランスのラヴァル出身です。ガボン代表としてプレーしています。
ドルトムントやアーセナルで活躍したAubameyangは、アーセナルを規律違反などもあって退団し、バルセロナにフリー移籍しますが、思うような活躍ができず半年で退団。
移籍金1200万ユーロでChelseaに移籍しました。

しかしChelseaでは、Aubameyangの獲得を希望したTuchelが解任されると、出場機会が激減し、リーグ戦で1ゴール、CLのグループリーグでの2ゴールに留まりました。
2023年7月、マルセイユへのフリー移籍が発表されました。

まとめ

Chelseaの背番号「9」を背負ってきた選手を紹介してきました。
ざっくりまとめると、次のとおりです。

まとめ
  • 最も活躍し、最も長く9番を背負ったのがHasselbainkです。彼のゴール数を塗り替える背番号9は現れるのでしょうか。
  • MorataやLukakuなど、クラブに不誠実な態度を取ってきた選手もおり、背番号9の印象は良くありません。
  • 近年ではTorresやAbrahamが活躍しています。空き番となっている背番号9を次に背負うのは誰なのか。

なかなか結果を残すことができず、1シーズンでの移籍となることも多い背番号9。
Chelseaで背番号9を背負うと活躍できないというジンクスは有名であり、現在その番号は空き番号となっています
このジンクスを打ち破る選手が現れるのか、注目したいところです。

London is Blue!!!

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